お焼香とお骨あげの作法

ここ3ヶ月でお葬式が2件。
義父と義理の叔父でしたので、ずいぶんバタバタしました。

そこで困ったのがお葬式の作法。
困ったことは何でもググル私ですが、これもネットが役に立ちました。

 

 

子ども1は仏式の葬儀は初めて。
子ども2は葬儀自体が初めて。
私は物心付いてからは初めての、そして施主の家族という立場での葬儀は初めて。

そんなわけで、お焼香とお骨拾いを調べました。
(地方によって、いろいろな形があると思いますので、参考程度にどうぞ)

お焼香の作法

 

一番参考になったのはこの動画。

 

主人の実家は浄土真宗(本願寺派)と聞いたので、抹香を一度つまんで、
目の高さにも上げず、香炉に落として、合掌、礼拝。

お坊様はというと、同じやり方でしたが、むんずとつかんで、バサッと落とす感じで、
なんのマナー感も漂わせないお焼香スタイルでした。(笑)

 

また、これは地方による違いかもしれませんが、うちの場合は二度とも遺族席は親族席の前方にありました。

ですから動画のように、お焼香の前後に遺族に一礼するような形ではありませんでした。

 

義父の告別式(主人が施主)のときは、最初に喪主、施主が呼ばれてお焼香をしました。

(お焼香の前後で一般席へ一礼)

その後は親族席の人から次々とお焼香というスタイルでした。

一般席へ一礼するべきか迷いましたが、何度も礼をされるのも・・・と思ったり、
同居しているのは義弟夫婦だし・・・と思って、通常の親族と同じように、一礼なしですませました。

 

面われしていないことがよかったのか、何の取りざたもされず、お焼香は無事終了。

抹香もなかなかのお値段とか聞くし、先方の宗派について事前にわかれば別ですが、基本は気持ちをこめて、一回つまんで、香炉に落とすスタイルでもよいかなと思いました。

 

繊細な方、気弱な方は、読むのをここまでにしておいてください♪
切羽詰っている方は、参考にならないかもしれませんが、続きをどうぞ♪

 

 

 

 

お骨あげの作法

 

これもまた、地方によってはいろいろ違いがあるのかもしれません。

ネットでいろいろ調べましたが、これだ!という感じのものは見かけませんでした。

もちろん<ハシワタシ>(三途の川を無事に渡れる=<橋渡し>のお手伝い)のことは知っていましたが、全部、それで拾うのかなとか、全員が並ぶスペースなんてあるのかなとか、いろいろ考えてしまいました。

 

さて、実際はというと、お骨を拾う準備が整うと係員の方が誘導に来ます。

その方は最後まで付き添って、いろいろ指示を出してくれるので、困ることはひとつもありませんでした。

 

最初に<喪主、施主、次に近しい人>という指示があって、義母、主人、義弟の三人でお骨をハシワタシで骨壷に入れるように指示がありました。

それに先立って、係員さんが、最後に拾うために頭部を少しよけてくれました。

三人の<ハシワタシ>が終わると、あとは普通に拾うようにと指示がありました。

 

火葬炉から出たばかりですから、お骨を拾うために近づくとそれなりに暑くて大変です。

そのせいもあるのか、全員で拾うというよりは、3~4人が入れ替わりで少しずつ拾うといった感じでした。

骨壷からはみ出した大きな骨は逐次砕きながら(これも係員さんが手伝ってくれます)、拾い進めます。

おおむね拾い終わったところで、頭部のほうに移るように係員さんが声をかけてくれます。(拾い易いように、ところどころ、砕いてくれます)

最後にのど仏を義母と主人で骨壷に納め、お骨あげは終わりました。

その後はそのままバスで葬儀場に戻って還骨法要(一部の方はここで帰宅)となります。
(控え室には戻らないので、収骨室に向かう時は持ち物をお忘れなく)

 

普通の生活の中で、普通にこの文章を読んでいると、「頭部をよける」とか「骨を砕く」とか(こちらとしてはそう書くしかないのですが)「ヒヤ~」って思います。

でも、斎場のあの場面では<拾わないと、お義父さんを家に連れて帰れない>と、とにかく一生懸命でしたから、収骨室にいる間はなにも感じませんでした。

 

お葬式が終わって

お葬式から一週間は身体のあちこちが痛くて、何をするのもしんどかったです。

私と子どもたちはお通夜は失礼したのですが、それでもキツカッタ。

施主の主人は葬儀屋さんとの打ち合わせのほかに、想定していなかったお通夜の参加者もあって、布団の追加や部屋割りを急遽迫られたりで、ずいぶん大変なようでした。

 

にもかかわらず、私も主人も2kg増加。

食べたのは通夜ぶる舞いくらいだったのですが、消費カロリーとしてはずいぶん少なかったのでしょうか?

悲しくて、何ものどを通らないというのは主人も私も無縁なことでした。

別世帯だったせいもありますが、悲しませない関係でいてくれたというのは義父の思いやりの形なのかもしれないなと思いました。

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